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9:00起床。セブンイレブンの鮭と、長ネギの味噌汁、ひじき、白米を食べる。(脂質ダイエット中なので15g/食以下にしている)

10:00に家を自転車で出発。上り坂がきつい。

10:30に図書館到着。いつもの席に着席。

 

黙々と写経を進めていたが、13:00に会社の手続きを思い出し、調べ始める。結構ギリギリだったので焦る。

 

16:00ごろ、カップルに席を挟まれる。美男美女だったので、この世界がオセロだったらなあと思う。

 

17:00に退館。図書館近くのリサイクルショップをちらっとみて、布張りの座椅子が欲しいなあと思っていたが、股間位置にシミを発見。布張りの座椅子だけは新品で買いたい気持ちになる。

 

スーパーによる。ダイエット中なので成分表示をチェックしながら購入。鳥もも肉は皮なしだと100gに対し、脂質5gなのに、皮ありだと脂質40gくらいまで跳ね上がる。皮は買わん。

 

18:00に帰宅。さらばと、空気階段のラジオを聴きながら、クリームシチューを作る。(脂質11.1g)

 

ちょっと帰ってからダラダラしてしまったのが悔やまれる。夜も開いてる図書館が欲しい。

 

明日は朝から髪を切るので早めに就寝。

いつからか変態

1日に3回くらい「セッ◯スしてえ!」という声が聞こえる。

 

自分が言ってる。

 

恥ずかしい思い出や不安が突然押し寄せた時、まるでそれらに形を与えて外に押し出すように(結局そのあと息を吸う時にまた取り込んでいる気がしますが)、「あぁ!!」っていう人結構いると思います。

僕はそういうとき、「セッ◯スしてえ!」という形を与えてしまう。

 

ついこの前までは違いました。1ヶ月前くらいは「◯ね!」と叫ぶスタイルだったんです。

(セッ◯スと同じ◯を使ったけど、これは違う◯だと思って欲しい。クね!とは言わない)

「◯ね!」も相当に良くない癖だと感じていた。いつか直さないとと思っていた。

いつからか「セッ◯スしてえ!」に変わっていました。

 

何がきっかけで「セッ◯スしてえ!」になったのかはもはや分からない。

多分お正月の帰省中に、鬼のように性欲がたまったことが原因だと思う。(帰省するとなぜか性欲が充填される。)

 

隣の家の人は僕のことを相当のチェリーボーイだと思っているだろう。(顔を見られたことがあるのでヤリチンだとは思われていないという推理)

変えたい。何より隣人が不快なはずだ。

 

ベストな叫びはなんなんだろう。「あぁ!」はやっぱり良くない。ありきたりだし、「あ〜こいつ今恥ずかしいこと思い出したんだな」って周りにバレるのが苦しい。

 

ポジティブな言葉がいいだろう。「愛と平和!」とか。でも、この前まで「セッ◯スしてえ!」って言ってた隣人が「愛と平和!」って言い出したら、童貞卒業したんだなって勘違いしてしまいそう。却下。

 

「水!」って叫ぶゲームが小学生の時にあったのを思い出した。「カレーライス、小辛、小辛、大辛」ってゲーム。あれ何をいうと「水!」が発生するんだっけ。

あのゲームでは中辛に合わせる形で小辛と大辛という新語が発生していたことに気づいた。でも、実は小辛と大辛に非はない。そもそも中辛って言葉に問題がある気がする。

「甘口」→〇〇→「辛口」なら、「普通」でいいと思うんだけど。

その割には辛いってことなのかなあ。

 

ということで、とりあえず、1月中は「水!」で恥ずかしさを吐き出そうと思う。

 

<うちのおばあちゃんと、水>

うちのおばあちゃんは、ミネラルウォーターにコロナ菌が入れられているという、ご当地の陰謀論を信じていた。

バイト/かっこわるいコミュニケーション

今日は久しぶりにカレー屋のバイトだった。

 

インスタを見た若いお客さんから、食べログを見たお年寄りまで広い年代の人が来るのだけれど、若いお客さん、特にカップルのコミュニケーションはどうもかっこ悪いものです。

 

というのも、彼らは手ぶらの会話が続かないのね。

 

席につき、店の内観について30秒、各人一言ずつ喋ったと思えばすぐに、インスタのストーリーを開いて、○○のこれ見た?、えーなにそれー、みたいな喋りを始める。

 

こういう傾向は自分にもあるし、おそらく自分同様、彼らも何らかの罪悪感を感じているんじゃないかと思う。

 

つまりこのストーリーを見て話すっていうのは、手持ちのネタで話すことが見つからない時にやることなわけだけど、話すことがなくなるっていう(ある意味当然の)ことは、カップルにとってみると、過大な一大事に感じられる。

いち早くこの空気を換気して入れ替えないといけない、という気分になる。話すことは有限だから当然なのに。不思議なものですね。

 

だからといって、熟年らしいお年寄りのカップルが沈黙を楽しんでいるかというと、そうではなく、彼らは楽しそうに話し続ける傾向がある気がします。

 

結局、話すことが絶えないカップルが長続きするもので、若者が話のネタがなくなることを一大事と感じるのは、かなり正しい心の動きなのかもしれない。と思った。

 

 

前澤友作がいつかやりそうなこと》

雇用の創造って言いながら、自分が入る古墳を建設する。ZOZO古墳

 

 

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タイトルを書いて気づいたけど、今日はゾロ目だったのか!

 

ゾロ目の日をもう少し全国的に楽しんでもいいんじゃないかなあ、と思う。今日はゾロ目です!の一言くらいせめてほしい。

 

ゾロ目といえば、おれは4:44を人より見てしまう気がする。4:44は表示されない時計が欲しい。だったらゾロ目全部に機能が欲しいな。1:11(良い良い良い)はすごい褒めてくれて、5:55(go!go!go!)になるとちょっと位置が動くとか。2:22は小さい音で「にゃー」ってなるとか。6:66(むむむ)は渋い顔したらいいなあと思ったけどそんな時間はなかった。

 

4:44があるなら7:77がないとバランスが取れていない気がする。おしまい。

 

 

 

モテ・アルゴリズム

いわゆる、良い彼氏のエスコート、がうまくできない。

 

例えば荷物をさっと持ってあげる。車道側を歩く。奥の方の席に誘導する。こういったことが良い彼氏・エスコートだ。

いくら俺でも、これらは当然できる。できないのは「自然に」これらをやるということだ。俺の荷物の持ち方、車道側の歩き方には、思考が透けて見えていると思う。

 

自分が荷物を持つべきである→荷物を持つ

自分は車道側を歩かないといけない→車道側に移動する

 

といった思考の流れが野晒しになっている。

これは多分初動のスピードが原因。本物の良い彼氏は脊髄で良い彼氏をやっている。道が見えたらその瞬間に足が車道方向を向いているし、荷物が見えたらその瞬間に手が荷物に向かって伸びている。

 

高校の時の友達で1人だけ福井県民とは思えないくらい、格好良い男がいた。俺が衝撃を受けたのは、彼が、転びそうな女の子をみて即座に腕を腰に回し、支えた瞬間を見た時だ。

俺はその時女の子のもう片方の側でボーッとしていた。転びそうになっていることに気付いてもいなかったのでそもそもスタートラインに立てていないのだが、たとえ気付いたとしても絶対に腕は腰を支えられなかったと思う。

それどころか、俺は本当にどうしようもないダサ坊なので、

転びそうだ!→かわいそう

ってなった可能性すらある。

 

たとえ支えることを思いついたとしても

転びそうだ!→支えよう!→触ったらキモいって思われないかな。。。→指でちょこっと触れる

みたいな展開になった可能性が高い気がする。

 

ただやはりこれは、後天的にどうにかできるものではない気がするのだ。だって腰を支えた友人の彼は、人が転びそうな時の練習も、イメージトレーニングも絶対日頃していない。

きっと生まれた時から「人が転びそうになったら支える」というモテ・アルゴリズムが頭に(いや、脊髄に)あるのだ。

 

腰を持てない人間は、一生腰を持てないし、当然好きな人からモテない。

おちてないけど終わり。

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面白いエピソードが欲しいので日記を始める

これまでも、個人用の日記はつけていたけど、人の目に見せないものだと思うと、なかなか面白くしようと思えないので、公開できるものにする。

いま、「なかなか面白くしようと思えない」って書いたところ、最初は「どうも面白くしようと思えない」って書いてた。これは語彙イキり(マウンティングとも言うけど、個人的にイキりって言葉の方が辱めとして効く)だ。こういうのやる人間は好いてもらえないのでやめたい。

p.s. 高校の時の合格体験記で「自分は怠惰な人間なので」と書いてたら、母親に「人間」って書くの気持ち悪いって言われたことを思い出した。あれも恥ずかしかった。

 

日記スタート。今日は眉毛を自分で切った。

元々はそういうサロン?に行くつもりだったんだけど、コロナ流行ってるのでキャンセルした。「微熱があって〜」と小さな嘘をついた。こういう小さな悪行を積み重ねると心が疲弊していく。今思えば普通に「コロナが心配なので〜」で良かったかもしれないけど、すると店員さんは「働いている私たちってやばいのかな」とか不安になったかもしれない。「微熱があって〜」と言えば、「コロナの疑いがある人は来ていない」となんだかホッとするのかもしれない。だったらよいことをした。

 

長い。。。もう疲れた。とりあえず続く限りやっていきたいけど、これいつまで続くんだろうか。今年は継続を大事にしたいからなるべく続けたい。

 

p.s. この「。。。」って書き方、ダサいからあまりやらない方がいいなあと思ってたけど、慣れると楽でつい使ってしまう。なんならちょっと可愛いんじゃないかなと思ってる。可愛いと言えば、去年は「かっこいい」になりたいなあと思ってたけど、今は「可愛い」になりたい気分です。でも可愛いだけを武器に生きていくとおじさんになってからきついから、やっぱ良くないかも。

 

日記に戻る。眉毛切ったら一部切りすぎてちょっとはげた。イケメンになりたいのに悲しい。

イケメンになりたいのに俺は悲しい。なんか語感がいい。ブスなのに俺は嬉しい。これはちょっとよくなさそう。

 

午後は、人前で大変いちゃついているカップルを見た(午後に何もやってない人みたいだな)。言い方を選ばなければ冴えない2人だった。

でも俺は人前でいちゃつくカップルを見ても、意外と何も思わない。不快にもならないし、一方で「愛だなあ…」みたいな気持ちにもならない。

だけど、なんか面白いからいじりたくなる。具体的には手を振ってみたりする。でもこれはまた情けないことで、自分を大きく見せたいだけなんだよなあ。手を振れば自分が大きく見えるような気がするよなあ。これは今後禁止。

 

俺は結構人と一対一で話すのが苦手だ(別に苦じゃない人もいるけど、苦手な人が多い)。今まではこれを直さないといけないと思って、微妙な空気になった時キョロキョロと話題探していたけど、もはや開き直って胸を張って沈黙に楽した方がいいのかもしれない。(沈黙に楽する、って日本語は今作った)

こういうの難しいなあと思う。ありのまま生きようよ!みたいな意見に乗れば、黙っているのが正解だけど、一方でそれはただの甘えで怠慢だろって気もする。

俺がどっちの人が好きかというのもブレブレで、胸はって黙る人間も好きだし、頑張って不器用に何かを話そうとする人も好きだ。

どうするべきか誰か教えて欲しい。

 

¥ellow Bucksの新曲きいた。あまり言わないようにしてたけど、俺はなぜか¥ellow Bucksみたいなヤンキー・信念持ってる・ラッパーがかなり好きだ。

 

結構長いこと書いた気がする、おしまい。